映画「ナイロビの蜂」

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キャスト

シネマ・クレ-ル丸の内にて、pm15:00-の上映を鑑賞。

スピリチュアルカウンセラ-・江原啓之氏がナビゲイタ-をされてる作品です。

観にいきたくなった理由は勿論↑ではなく、予告編が素敵だったから(^_^)。

主演のレイフ・ファインズについては、ワタシの中ではどうしても”ハリ-・ポッタ-”シリ-ズのヴォルデモート卿のイメ-ジが付きまとうのですが…今回初めてネットでチェックしてみたトコロ、「ER 緊急救命室」のエリザベス・コ-ディ先生<アレックス・キングストン>と以前結婚されていたヒトらしい<驚>。

その後、17才年上の女優フランチェスカ・アニスと11年間付き合っていたのだとか<驚愕>…何かと\(◎o◎)/なカンジで。

っていうか、逆に”ヴォルデモート卿のイメ-ジ”の方が覆ってしまった気がするケドモ。 ↓<映画の内容のネタばれあり。読みたくない方はお気を付けて♪>↓
イギリスの外務省一等書記官ジャスティン・クエイル<レイフ・ファインズ>は、自らの赴任地であるケニア・ナイロビの空港から、取材のためロキへと旅立つ女性活動家の妻テッサ・クエイル<レイチェル・ワイズ>を優しく見送ります。

2日後にテッサは戻ってくる予定でしたが…ジャスティンは、友人で高等弁務官事務所所長のサンディ・ウッドロウ<ダニ-・ヒュ-ストン>から「トゥルカナ湖畔で、無残な銃殺死体となってテッサが発見された。」コトを告げられます。

テッサに同行していた黒人医師ア-ノルド・ブル-ム<ユベ-ル・クンデ>は殺人現場から行方不明となっていて、前夜二人が同じ部屋に宿泊していたことから、警察は犯人をア-ノルドと断定し、恋愛感情のもつれによるよくある強盗殺人として事件を簡単に処理しようとする。

テッサは最後まで僕だけを愛してくれていたのだろうか?…愛する妻を突然失った悲しみの中、疑いを持ち始めてもいた妻とア-ノルドとの関係に苦しむジャスティン。

事実を確かめるため動き出したジャスティンはまず、ア-ノルドが同性愛者であったコトを知ります、、、それならば、妻は一体何故、誰に殺されてしまったのか?

「仕事に干渉はしない。」…結婚の時に妻と交わした約束もあり、またガ-デニングが趣味の献身的な夫であったジャスティンは、妻が亡くなって初めて、スラムの医療施設を改善する救援活動に励んでいた妻が最後に一体、何を取材していたのか?を知るため、独自の調査を開始します。

ヨ-ロッパの大手製薬会社”スリ-・ビ-ズ<3匹の蜂>”は、アフリカの貧しい村人達に無料でおざなりの医療を施す代償として、新しく開発した結核の新薬を販売するため、副作用として死を引き起こす危険性があるコトを黙殺しながら人体実験を行っている…。

妻の遺品を頼りに、彼女が殺されるに至った陰謀に近づいていくジャステイン。

危険は当然、ジャスティンの身にも及び始め、「妻と同じように殺されたくなければ手をひけ。」と脅迫をされながらも、(映画の前半では)情熱的で弱者に献身的な妻に終始振り回されてる穏やかなエリ-ト官僚であったジャスティンが、(後半からは)自らに与えられた名のとおり正義に基づいて行動を貫き、ラストへ向かっていきます。

アフリカの現実が、かなり切なく重く、厳しい作品でした…。

ラスト近く、襲撃された村から脱出するために乗り込んだ航空機内で、ジャスティンと黒人パイロットの言い争いを聞いていた小さな男の子が、大人の誰かに頼るでもなく、自らの決断で航空機からあっさり降りるシ-ンはもう涙あるのみ。

自分が乗っていたのでは、航空機はいつまでも飛び立てないという空気を感じ取り、まだ幼い小さな子供が自らの運命を淡々と受け入れるのだ。

彼らは彼らの毎日を必死に生き、そこに暗さはない。

空腹を心配するコトなくいつもゴハンが食べられ、安心しながら眠るベッドがあり、健康で怪我をすれば病院で治療が受けられる保険がある…そんなコトを当然の権利だと考え、ジブンにないものばかりを目を奪われる。ワタシの思い描いていた”幸せの定義”が、どんなに愚かなコトであったのか、、、を思い知らされる。

物語の最初では、ジャステインの社会的な立場も省みず、自らの信念のみをゴリ押ししていくテッサに対し、嫌悪感や苛立ちを感じていたのですが、真実が明らかになっていく過程から、テッサの葛藤や苦悩、ジャスティンへの深い愛情が理解ってきます。

妻の死によって、籠の中の鳥であった自分に気付き、自らの正義も一変したジャスティンは、彼女を失ってからなお絆を深め、彼女の真の姿に再び恋に落ちていく。

守るべき何かがあれば、ジャスティンも生きる術を探していたかもしれない。

けれど、見ない・聞かない・考えないの平和主義者であった自らを、彼女の面影を前に罪人のように悔いる彼は、彼女のいない世界でなお「生きたい。」「死にたくない。」と生に執着する気持ちはなく、ココロに秘めた正義と妻の遺志を遂げた後、震えながらも殺されるコトを選択する。妻と同じ大地に帰るため。生きる気力や意味を失くしてしまったったから。

日本タイトルの「ナイロビの蜂」…は、製薬会社の名前から来ているようでした。

毒針で刺したヒトの生命の危害を加えるコトもある蜂になぞらえて。

ヒトの命を救う薬を扱っているハズの企業が、ヒトの命を救うという見せかけの大義名分のもと、その何倍もの人間の命を平然と犠牲にして、利益を優先させる。

この構図は、日本でも実際に数々起こってきたことで、記憶に新しい。

そして、この日本タイトルと原題の「The Constant Gardener<献身的なガ-デナ->」というタイトルには相当違いがあるように思えるのですが、公式サイトによると、”Gardener”は「継続的に注意して世話をすること」の比喩でもあるそうです。原題は、いろんな意味で、クエイル夫妻のコトを指しているみたいだ。

”Constant”献身的とは…お互いを尊重しあい、心から尊敬しあえるような関係を築くことによって何があっても揺るがないような深い信頼関係で結ばれることかなぁ。

クエイル夫妻が既にそういう関係にあったならば、二人の結末は違ったカタチとなったのかもしれない。

”Constant Gardener”の持つ意味が、テッサを失う前と失って後のジャスティンの中で切り替わるコトを思えば、、、原題の方がしっくりくるように思えました。

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